さくらグループ 沿革
昭和22年4月 | 当社会長 櫻井 栄一が株式会社さくら鍍金の前身であるさくら工業を日本ビクター株式会社のラジオ部品の旋盤シーリングの機械工場として設立 |
昭和22年8月 | 横浜市鶴見区潮田町に移転 |
昭和27年 | 日本ビクター株式会社の要請を受け鍍金業に転業当初は数名でタンクを並べゴム前掛け・ゴム長靴での手作業の住居兼用の小さな町工場であった |
昭和27年 | 鍍金技術コンクールにて通産大臣賞(技術優秀賞)を受賞、戦後の高度経済成長期の波に乗り順調に仕事推移 |
昭和33年9月 | TVの普及と共に企業秘密保持の風潮の高い中東京芝浦電機小向工場の要請を受け川崎市川崎区浅田町に東芝専属工場として昭和鍍金株式会社設立 |
昭和34年8月 | 昭和鍍金株式会社の隣接地に日本ビクター株式会社専属のカラーTV部品組立のサクラ電機工業株式会社設立 |
昭和35年2月 | 東京都大田区仲六郷にコロンビア専属として大和金属工業株式会社を経理面で支えてきた会長妻 智恵子を代表取締役に据えて設立 |
昭和44年5月 | 初めて全自動亜鉛鍍金装置を導入した株式会社さくら鍍金 綱島工場を設立 自動車関連の仕事も受注 |
昭和44年 | サクラ電機工業が労働大臣より障害者の雇用促進に貢献したとして表彰状を授与される |
昭和47年 | カラーTV3原色音だしまで受注した 日本ビクター株式会社専属のサクラ電機工業株式会社前橋工場を設立 |
昭和49年頃 | メーカー間のTVの価格引き下げ競争を機にサクラ電機工業株式会社は一時外国輸出用の自動車ラジオ組み立て工場に転身した後、操業を中止。以後は跡地を駐車場として運用 |
昭和40年代 | 戦後の経済高度成長のひずみとして公害問題が重要視され始めた際にはいち早く市中からの移転を決意 |
昭和52年4月 | 大和金属工業株式会社を大田区京浜島に移転 |
昭和59年4月 | 昭和鍍金株式会社を川崎区浅田町に移転 |
昭和60年12月 | 株式会社さくら鍍金 本社を神奈川区恵比須町に移転 工場跡地はすべて駐車場・社員寮として活用し現在に至る |
平成~ | 世の中の風潮の変化と共に独立別法人ながら株式会社さくら鍍金・昭和鍍金株式会社・大和金属工業株式会社・サクラ電機工業株式会社をまとめてさくらグループと称し人材交流・納期対応・品質向上などあらゆる面で協力し企業イメージアップを目指す |
平成3年 | さくら鍍金が労働大臣より障害者の雇用促進に貢献したとして表彰状を授与される |
平成19年2月 | ISO14001(環境)の認証を取得 |
平成19年 | 櫻井 栄一・智恵子ともに高齢ながら創業者として取締役会長としての職にあり、長女 真木 要が代表取締役副会長、孫 真木 洋平が代表取締役社長として次代へも確実に継承される体制を築く |
平成20年 | 株式会社さくら鍍金 本社・恵比須工場に最先端のめっき設備を導入し、生産効率を向上させるとともに、新たに熱処理ラインを導入すべく解体、そして新本社・工場の建設を開始 |
平成20年7月 | グループ各社の運送部門、技術開発部門、システム部門を分離独立させ、 さくらTLS株式会社として新設 |
平成21年 | 旧さくら鍍金恵比須工場をさくら鍍金横浜工場として操業開始 |
平成22年9月 | 昭和鍍金株式会社が大和金属工業株式会社を吸収合併 |
平成25年10月 | 株式会社さくら鍍金と昭和鍍金株式会社が合併し、新会社「さくらGS株式会社」として発足 |